日本漢方の啓蒙

目 次
  1. 漢方医学の原点 
  2. 近代の歩みと現状 
  3. 「漢方薬」とは何か 
  4. 漢方に絡む誤解 
  5. 漢方の伝承・系譜 
  6. 漢方は効能で薬方を選ぶ医学ではない 

漢方医学の原点

 「日本漢方」や「漢方医学」という名称の由来は諸説ありますが,およそ明治維新の頃に海外の多くの文化が本邦へと入り込み,医学の方面では他と区別するため,それ以前の日本の伝統医学を漢方と呼ぶようになりました。私個人は,漢の時代に伝えられた薬方を使用して治療を行う医術と認識しています。

 そもそも生まれは紀元前のアジア大陸の一国(およそ現在の中国)ですが,その大陸とは様々な面で異なる気候、風土、文化の中で育てられてきた医学ですので,日本の伝統医学と言えるでしょう。

 中国の伝統医学は中医学(TCM:Traditional Cinese Medicine)と省略して呼ばれています。

 この中医学は大まかに現代中医学と古典中医学とに分けられ,それぞれ原点が異なります。

 古典中医学は,私も専ら学び続けている医学ですが,日本の漢方医学と共通する部分が多く,疾医学(しついがく:専ら疾病を治療する医学)が中心となっておりまして,《傷寒雑病論》(※)がその拠り所となっています。本来は最初に学ぶべき経典なのですが,漢字のみの古文で書かれており難解な部分が多く解釈も人によって異なるため,そのうち億劫になって後回しにされたり,権威ある人の解釈や評価を鵜呑みにして知ったかぶりになりやすいといった残念な部分もあります。ただ,疾医を志すからには必ず関わってくる大切な経典ですので,やはり研究しなければ漢方を語ることすらできないでしょう。歴代の漢方医や中医師は皆例外なくこれを学んだ筈だからです。

(※)《傷寒雑病論》:《傷寒論》(《傷寒卒病論》)と《金匱要略》(《金匱要略方論》)とを合わせた経典。

 現代中医学は,文化大革命の頃に毛沢東(当時の主席)の指導の下,「中医学は宝庫であるから,これを絶やしてはいけない」とのことで,大規模な再編成が成されました。こちらは疾病の投薬治療について殆ど記されていない経典《黄帝内経》が基礎となっておりまして,養生医(ようじょうい:日常の養生や病気を予防する医学)が中心となっているのですが,古代(天動説の時代)の自然哲学的な理論が元となる治療法を過分に付け加え、西洋医学を意識して無理に対比させたり結合させたり、《傷寒雑病論》を部分的に引用するに留めたり、、、説明するにもやや混乱するくらい歪な形になっています。ただ,現状では多くの中医師を育成するためには仕方のないようにも思えます(古典中医学では試験問題が作りにくいことも理由の一つであると考えるからです)。

※「経典」は,宗教のもの(きょうてん)と分けるため,医学では“けいてん”と読みます。
※中医学には鍼、灸、気功、、、なども含まれますが,ここでは省略しています。

 私が古典中医学を学び始めた頃,その気持ちを後押ししてくれた中の一つに《傷寒卒病論》(《傷寒論》)の序文があります。以下に掲載しますので,宜しければ御一読下さい。

《傷寒卒病論》序(張仲景原序)

【原文】
 論曰:余毎覧越人入之診,望齊侯之色,未嘗不慨然歎其才秀也。怪當今居世之士,曾不留~醫藥,焔方術,上以療君親之疾,下以救貧賤之厄,中以保身長全,以養其生。但競逐榮勢,企踵權豪,孜孜汲汲,惟名利是務;崇飾其末,忽棄其本,華其外而悴其内。皮之不存,毛將安附焉?卒然遭邪風之氣,嬰非常之疾,患及禍至,而方震慄;降志屈節,欽望巫祝,告窮歸天,束手受敗。賚百年之壽命,持至貴之重器,委付凡醫,恣其所措。咄嗟嗚呼!厥身已斃,~明消滅,變爲異物,幽潛重泉,徒爲啼泣。痛夫!舉世昏迷,莫能覺悟,不惜其命,若是輕生,彼何榮勢之云哉?而進不能愛人知人,退不能愛身知己,遇災値禍,身居厄地;蒙蒙昧昧,惷若游魂。哀乎!趨世之士,馳競浮華,不固根本,忘躯徇物,危若氷谷,至於是也!
 余宗族素多,向餘二百,建安紀年以來,猶未十稔,其死亡者,三分有二,傷寒十居其七。感往昔之淪喪,傷横夭之莫救,乃勤求古訓,博采衆方,撰用《素問》、《九卷》、《八十一難》、《陰陽大論》、《胎臚藥録》,並平脈辨證,爲《傷寒雑病論》合十六卷。雖未能盡癒諸病,庶可以見病知源。若能尋餘所集,思過半矣。
 夫天布五行,以運萬類,人稟五常,以有五藏;經絡府兪,陰陽會通;玄冥幽微,變化難極。自非才高識妙,豈能探其理致哉!上古有~農、黄帝、岐伯、伯高、雷公、少兪、少師、仲文,中世有長桑、扁鵲,漢有公乘陽慶及倉公。下此以往,未之聞也。觀今之醫,不念思求經旨,以演其所知;各承家技,始終順舊。省疾問病,務在口給,相對斯須,便處湯藥。按寸不及尺,握手不及足;人迎、趺陽,三部不參;動數發息,不滿五十。短期未知決診,九侯曾無髣髴;明堂闕庭,盡不見察,所謂窺管而已。夫欲視死別生,實爲難矣。
 孔子云:生而知之者上,學則亞之。多聞博識,知之次也。余宿尚方術,請事斯語。

【現代和訳】
@「えつ人(秦の名医扁鵲へんじゃくの別名)がかくの国を訪れた時,偶然にも太子が死んだと嘆き悲しむのを見て,まだ本当に死んではいないと手当をして蘇生させたことがある。また,斉の国に滞在中,桓公かんこうの顔色を望見しただけで病の所在を診断し…。」《史記》巻一百五 列伝第四十五 扁鵲 倉公(司馬遷)。私はこの伝記を閲覧する毎に,扁鵲の才能の優秀さに痛く感銘を受けた。
 奇怪なことに,今の士(医者)は皆医薬に心を注がない。本来であれば医術を究めて,上は君主や親族の病を治療し,下は貧しい人々や身分の低い人々を厄病から救う中で,自身を保って長命を全うすべきであるのに,専ら栄華えいがや権勢を互いに競って逐いまわし,権豪をうらやんで休むことなくきゅう々として働き,ただ名利を得ようと務めている。そのまつ勿体もったいらしく飾り,そのほんないがしろにし,その外を華やかに飾りつつその内をやつらせているのは,まるで皮が無いのに毛の附くことを望むようなものではなかろうか?
A前兆もなく突然病邪にって非常の疾病を患い,病患や病禍が自分の身に及ぶとそれを恐れて打ち震え,志を失って今までの高節を棚に上げ,みこや神主に懇願し,天を仰いで“どうかお救い下さい”と窮苦を告げる。そして為す術もなく諦めて死を待つ。
 人は百歳の寿命を授かり,身は貴く重いうつわであるのに,凡等な医者にゆだねてぞんざいに扱われる。咄嗟嗚呼ああ!その身はしかばねとなり,精神は消え,変わり果てた異物となって黄泉よみの国へと潜り込む。そして一族の者が集まり寄って泣き叫ぶ。なんと痛ましいことか…。
 世間は昏迷し,人は身の程を悟らず,その命を惜しまず,軽率に生きることの何処に栄華権勢があると言えるのか?しかも進んで人を愛し,人を知ることができず,引いては自身を愛し己を知ることもできない。災禍さいかに遭っても自身が危険な場所に居ても蒙昧もうまいで,魂の抜け殻のようになっている。なんと哀れなことか…。
 世間の士(文武を修める人、社会人)は上辺だけを華やかにしようと競って駆け求め,根本たるものを固めようとしない。身体の大切さを忘れて物欲に目が眩み,氷が薄く張った谷間を渡るような危険な行いをしてきた結果がこれだ!
B私の一族は元々多く居て二百余りであったが,建安の元年から十年も経たない間に死亡する者が三分の二にも達した。その七割は傷寒病(伝染性の大病)を患った。昔,その病で死にゆく者が多かったことや,まだまだ生きられる筈の若い命を救うことができなかったことを嘆き,古人のおしえを勤めて求め,諸々の薬方を採って衆め,《素問》、《九巻》(《霊枢》)、《八十一難》(《難経》)、《陰陽大論》、《胎臚薬録》,並びに《平脈辨証》等を参考に撰用し,《傷寒卒病論》十六巻を書きあらわした。これはまだ諸病の全てをいやす(治す)には満たないが,少なくとも病を観察して病源を知ることができるであろう。もし私が集めたところを尋求じんきゅうすれば,大半は(その治療法が)得られるであろう。
C天は五行(木・火・土・金・水)を布して万物を運化させて生じ,人は五常(仁・義・礼・智・信)の気を受け,それらが形を成して五臟となる。経絡(気血運行の通路)と府兪(気血集散の関門)とを通じて陰陽の気は会合、通達して人は生命を保っているが,陰陽の変化は微妙で知り難く,秀でた才能と精妙な知識を有する者でなければその道理を開くことはできない。
 上古には神農、黄帝、岐伯、伯高、雷公、小兪、小師、仲文など(の名医)があり,中世には長桑、扁鵲があり,漢には公乗(官位の一つ)であった陽慶と倉公がある。だがそれ以降の名医は知らない。今の医者を観ると,医経の趣旨を思い求めずに知ったかぶりで演説し,各々家伝の医術を受け継いで始終同じ治療を繰り返している。疾病の診察をいい加減に省略したり,口先だけで言いくるめ,病人と体面したら短時間ですぐに簡便な薬を処方する。脈を診るのもぞんざいで,寸脈は診ても尺脈までは診ず,手の脈は診ても足の脈は診ない。また人迎じんげいの脈、趺陽ふようの脈、三部の脈をそれぞれ参照することもない。脈拍が五十にも満たない短い時間の切脈(脈を診ること)であるため,九候のような髣髴ほうふつとして,よく似た紛らわしい脈をはっきりと診ようとしない。顔色もよく望診せず,針穴から天を覗くように自分の狭い知識や了見で広い処を見るのであるから,その診断が正確でないのは当然である。生死を見極めるのは実に難しいことである。
D孔子の言葉に「生まれながらにして,さほど学ばずにこれを知る者は上であり,学んで多聞博識となるは知の次である」とある。私は医術を志す者であるから,どうかこの言葉を心に留めていただきたい。

漢長沙守南陽張機著
訳編:森永忠夫

 C或いはC及びDは,後世で書き加えられたとされています。

 ここに出てくる建安という元号は,今からおよそ1800年も前だそうです(建安元年はAD196年)。現代に至って世間の色や形は大きく変化しましたが,そのバランスたるや何も変わってはいないようですね(“人の世の常”ということです)。

 どのような人生を歩むかは,全く以てその人次第ですが,最低でも名利に囚われることなく志を失わずにいたいものです。

 20年余りを費やして少しずつ経典二部の現代日本語訳を行って参りました。《傷寒論》(「辨太陽病脈証并治上第五」〜「辨陰陽易後労復病脈証并治第十四」)は2018年の10月に,また《金匱要略方論》は2020年4月にそれぞれ概ね完了し,現在は細かい修正を行っています(この二部経典は論理的な内容ですので,現代中医学による理論は解説からできる限り排除しました)。(予算が無いため出版はしません。)

掲載:2017/08/02
更新:2023/07/15

近代の歩みと現状

 歴史有る医術であるため需要が残り,禁止はされていなかったため,昭和の後期までは漢方医が見下されたり迫害されたりする中で細々と繋いでくれました。私が今この時代に漢方(制約は大きいが)を扱えるのはこの方々のお陰でもありますので,感謝と敬意を表します。

 廃止されたからには専門教科が無ければ公の指導者も居ない筈です。令和の現在に於いてポッと出の漢方医を名乗る医師や漢方外来が増えているのはどういうことか?
 これは何ら謎でもなければ疑問にも思いません。実際には漢方ではなく現代中医学であったり,一部の製薬企業が簡素化しつくした使用法で,或いは現代医学的に漢方を使用しているだけです。

 漢方は科学的でないと言われれば漢方を科学するなどと言い出したり,漢方は理論に乏しいと言われれば歪な理論の集合体である現代中医学に乗り換えたり,こんな事では漢方は真に滅びるでしょう。そして薬だけが残り,使いどころを知らない医療者が片手間に扱い,事故が起これば漢方のせいにして,いずれ根絶やしにされる未来を想像させられます。
 これが想像どおりであれば,私の世代が日本漢方の最後なのかも知れません。

 科学と呼ばれる分野は人類の成長と共に広がっていくものであり,決して全てを包括するものではなく,万事万物からすればほんの一部分です。
 漢方は現代医学とは異なる角度から考える純然たる科学であり,理論は相対的に乏しいかも知れませんが確かなものを繋いでいく「論理」が柱となっているので理解できる人が非常に少ないです。
 理論では正論をそっちのけでいくらでも言い訳ができて逃げ道も多いですが,論理ではその多くが通用しません。また,理論だけでは妄想、空想、信仰、捏造、利権などのノイズが入り込みやすくなります。
 ただ,名利に対して欲深い人の目に留まりにくいのは良い点かも知れません。。。

掲載:2023/07/12
更新:2023/08/03

「漢方薬」とは何か

 元来,「漢方薬」という名前はありません。今では圧倒的多数が「生薬(しょうやく)」のことを指していますので,私も仕方なくその流れで同様に使うことが多いです(看板などにも)。

 分けて言えば,まず「漢方」には二つの意味があり,広義として漢方医学全体を指す場合と狭義として方(方剤、処方)を指す場合とがあり,狭義の場合は更に細かく言えば,薬を用意して,下処理をして,煎じたりした後の服薬方法や生活面の注意事項をひっくるめて指す場合もあります。例えば,「葛根湯」という漢方では「葛根湯方」として収載されています。
 更に厳密に,方剤としての漢方は「経方」や「古方」とも呼ばれます。これは主に《傷寒雑病論》(《傷寒論》および《金匱要略》)に収載されている方です。
 (漢方以外では,「後世方(ごせいほう)」と呼ばれる,経験や理論から生まれた方もあります。)

 私は狭義の漢方を「漢方処方」と間違いを承知で呼ぶことがあります。未だに一般向けの適切な表現が見つかりません。排気ガス、白湯スープ、フラダンス、チゲ鍋などのように意味が重なっています。日本語のあいまいさによるものでしょうか。

 「生薬」とは自然界に存在する植物の特定部位、動物の特定部位、虫類、鉱物を乾燥したもので(一部,加熱、発酵などの処理が施される),東洋では最も大きな分類枠です。
 これとほぼ同じ枠に相当するものに「中薬」がありますが,これは中国の薬典(中薬大辞典)に収載されている生薬です(第1版に収載されている総数は5767種)。
 「中薬」中の植物薬は「中草薬」と呼ばれます。

 日本には(地域差はあるが)比較的容易に採取できて毒性が弱く作用も緩和な「民間薬」という分類枠があります。
 この他に「漢薬」がありますが,これが漢方で用いられる生薬です。

 「漢方薬」が,「漢方」と「漢薬」とを合わせただけの造語であれば半ば納得できますが,実際にはそうではなく,世間では「漢薬」ではないドクダミ(十薬、魚腥草)、センブリ(千振、当薬)、オオバコ(大葉子、車前草)などや一部の雑草までも含めてしまっています。
 ちなみに,枠がぼやけていますが「和漢薬」という分類もあります。

掲載:2023/07/12
更新:2024/02/22

漢方に絡む誤解

 「言わずもがな」といったところもありますが,以下に箇条書きを添えます。

掲載:2023/07/12
更新:----/--/--

漢方の伝承・系譜

 漢方の伝承には「伝言ゲーム」のような特徴があり,途中で大切なものが抜け落ちたり余計なものが埋め込まれたりで,現状では失敗したままになっています。
 古来歪めてきたものには,占術、呪術、霊術、宗教、忖度、商売、権力、戦乱、欲望、妥協、等々があると思います。
 個人的には全くの商売道具にされたり,現代医学的に安易に扱われてきたところが最も大きい気がします。鹿茸や高麗人参が起死回生の万能薬と謳われた時代もあったようですし,土用の鰻の話しなどもどこか似ているようです。厄介なのは今現在でも“利権”という形でこのような流れを引きずっている点です。
 本来の形を取り戻すべく原点(原典)から始めるため各論(主に薬・方の使用法)を編集する傍らで《傷寒雑病論》の現代和訳も行いました。
 伝承・系譜につきましては,最初は伝令役のつもりで居りましたが,私一人では非力故に事を始めても進められませんし,気骨ある若い新参者も見当たりませんのでほぼ絶望的です。
 それでも私は自分がすべき最低限の目標(漢方の真髄を理解)はまず達成できたと少しは満足しております。
 忘れてはならないのは,明治政府(自民党・長州レジームのようです)が“利権”を元に切り捨てた結果だということです。それを承知の上で扱う覚悟は必要でしょう。

掲載:2023/07/12
更新:2024/02/27

漢方は効能で薬方を選ぶ医学ではない

 《傷寒雑病論》には薬方の効能については殆ど記されていません。
 書かれている有益なものは,患者がどのような状態の時に,何(薬方)をどのように服用させるか,ほぼそれだけです。

 「治療」という作業を完了させるには上記が満たされるだけで良いのですが,書かれている患者の状態が実際には具体的にどのような状態なのかを判別することが至難です。
 各状態には程度の範囲がありますし,診察時に潜伏している症状がある場合はそれを見抜く必要もあります。

 これ以降,《傷寒雑病論》の扱い方(どう読み解くか)のヒントや,漢方治療をどのように行うかのヒントについて別のページでお話しします。
 ※専門的な内容になります。

掲載:2023/07/12
更新:----/--/--


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