ここでは漢方治療を行う上でのヒントについて書き綴ります。
《傷寒雑病論》(《傷寒論》および《金匱要略》)の学習も不可欠ですので,これを読み解く上でのヒントも必要に応じて併記します。
※ある勉強会の講演用に作成した資料に追加、修正を施し,HTML文書として再編集を行った内容です。
(余談として用意していた内容は,一部を除き掲載しておりません。)
目 次 |
---|
投薬治療の全体的な目標は,以下それぞれの項目を柔軟に行えるようにすることである。
1.どのような人が。…(体質傾向などの全身特徴および飲食の習慣などを知る。)
2.どのような時に。…(病症の特徴、程度、経緯、発展段階を知り,方証、薬証として捉える。)
3.何を。…(証に基づいた方、薬を選定し,必要に応じて加減、合方などを行う。)
4.どれだけ用いるか。…(全体の薬量を調節する。)
(5.必要に応じて飲食の指導を行う。)
これさえ成されれば誰にでも適切な治療が行える全体の流れです。
一見簡単そうに思われるかも知れませんが,項目毎に把握しておかなければならない要素が詰まっています。
括弧内の具体的な要素は,その大部分が各論で扱う内容ですが,以下に最も重要な要素(証、薬証、方証、類方、そして体質)の概要についてお話しします。
掲載:2023/07/13
更新:----/--/--
「証(しょう)」とは,治療において薬味、薬方を選定する上での根拠や決め手となる“証(あかし)”のことであり,患者を診察、観察して得られる主観的および客観的な特徴をそれらの適応範囲としてまとめたものである。特に注意が必要なのは,単一の病症名や効能ではない点である。
中医では“有是証便用是方(証が有ればこそ,その方を用いる)”という語句を用いて方←→証対応の原則を示しており,証に対応しているかどうかに着眼するのであって,患者がどの種の疾病を患っているかに注意するのではない。
あくまでも証の辨別に徹することです。→「異病同治と同病異治」でお話しします。
病名は無数にあり、絶えず作られ、絶えず変化し、便宜上半ば強引に付けられたりするが,生体の病理変化の状態としての証は相対的に不変である。不変を以てあらゆる変化に対応させることは,まさに伝統医学の基本精神そのものである。
瘀血を例に挙げると,瘀血自体は広義の瘀血証であり,「傷寒有熱,少腹満,応小便不利,今反利者,為有血也。」《傷寒論》辨太陽病脈証并治中・第126条 は[抵当丸]に見られる固有の特徴(蓄血)であり,狭義の瘀血証([抵当丸]証)である。
【訳】傷寒,熱が有り,少腹が脹満する場合は,往々にして小便不利するが,今却って小便が利するのは,血(瘀血)が有るからである。
治療において最終的に見極めなければならないのは後者,つまり狭義の瘀血証である。極論すると,広義の瘀血証は問わなくとも治療は可能である。
もし広義の瘀血証だけで治療を行う場合,多くは路頭に迷うであろう。結果として活血化瘀薬や駆瘀血剤に分類されているものであれば,どれを使用しても良いといった頓珍漢なことになってしまう。最悪の場合は悪化を招くことも有るので,正しく辨別する必要がある。
万能薬も万能方も無いということです。
1.常に患者の(体質を含めた)“全身状態”を意識かつ考慮すること。
2.証は往々にして時間差などによって見え隠れするため,そのことも念頭に置く必要がある。
例えば,辨証の直前には証が現れていたが辨証時には一時的に隠れていたり,またはその反対に体質傾向などから何らかの兆候はうかがえるが,はっきりとした証が得られるのは時間的にもう少し後となるケースもある。また,舌質は本来暗淡であるが,食事の直後では赤味が増すことがある。
3.証は効能と相対するものであるが,実際にその逆は必ずしも真とはならないことが多いため,安易に効能から証を見出すことはできない。
例えば,大黄の“効能”には通便があるが,その“証”は単純な便秘ではない。大黄が適合しない(或いは必要としない)便秘もあるため,誤下しないよう注意しなければならない。
大黄を使用できない便秘の例を一つ挙げますと,白朮(蒼朮)型があります。
便秘で食欲不振の傾向があり,どうにか自然に出た時の便は軟便〜先硬後溏で,舌苔が白く,腹部が脹満する場合ですが,何を使用するのが良いでしょうか?
この種の便秘では,実際に腸管がむくんでいることが多く,そのために柔軟な蠕動が妨げられているようです。(この場合は[平胃散]が良いでしょう。)
[平胃散]は経方ではありませんが,小さい処方ですし,薬証を理解できていれば難なく応用できます。
・薬は,患者にそれが治する“証”が有れば与えなければならない。
・薬は,患者にそれが治する“証”が無ければ与えない方がよい。また,その“証”が相反するものであれば与えてはならない。
※ 証が見られない場合に投薬しても全く効が得られない場合と,その弊害が現れる場合とがある。
※ どれだけ品質の優れた薬材を使用しても“証”に適合していなければその病は癒えない。
※最も大切な部分であるためここにまとめましたが,他の項目と重なる内容があります。
「証」は日本漢方(古典中医学)において根幹となる概念であるため,ここから離れてしまうと漢方治療を行うことはできません。
─ 「証」から離れると全く別の医学になってしまいます。ただ,あくまでも研究として(“気付く”ために)他の角度から色々と考える機会は有っても良いと思います。
─ 漢方を学んでも理解できない人のほとんどが,この「証」を理解できていないようです。
─ 「証」を正しく理解できれば,専門書や本ページの理解もかなり深まると考えます。
本ページの内容は一般の方にとって難しい内容であることは承知しております。もう少し解りやすくしたいという気持ちはありますが,実際にそうしますと表現が変わる結果として誤解や嘘が生じやすくなりますので,このまま進めたいと思います。用語の解説はできる限り書き添えるよう努めますが,ごく基礎的な部分はご自身で身に付けて下さい。学び手の理解度を知る術(すべ)がありません。
─ 日本漢方が Logic(論理)主体であるのに対し,現代中医学が Theory(理論)主体であることは既にお話ししましたが,日本漢方で扱う「証」は
Real(現実、実像)要素であるのに対し,現代中医学で扱う「証」は Virtual(仮想、虚像)要素が大きいです。つまり,符合することがあれば,しないこともあるということです。臨床治療において,符合しないことには問題があります。
現代中医学の「証」は理解したつもりになりやすく間違えやすいため,最終的な薬方の選定には使えないと考えています。これは歴史的にも利権的にも現代中医学が現代医学寄りにあるためです。一方,考え方が異なる現代医学も
Real ですから,むしろ日本漢方と符合する点が多いです。
【暫定的なまとめ】
■ およそ日本漢方(古典中医学)で扱う「証」とは…:
・四診(望聞問切)から得られる病状特徴を組み合わせたものである。
─ 「望診」:体格、表情、動作、反応、皮膚の状態、患部の状態、舌象(舌質、舌苔)などを観察。
─ 「聞診」:聴覚による咳、息づかい、呼吸音などの確認、嗅覚による臭いの確認(臭いは問診で確認することが多い)。
─ 「問診」:主訴など主観的な病状を知る。その他,罹患期間、症状の程度、生活習慣、原因に心当たりが有るか否かなど。
─ 「切診」:脈象(緩急だけでなく,強弱、深浅、太さなども確認)、腹候(腹証の確認)。
・体質傾向や症状の特徴にも,一部「証」と見なせるものがある。
・「証」は“徴候”の意味合いを含めて「証候」と呼ぶこともある。
・薬方の選定や薬味加減に直結する証(あかし)である。換言すると,薬方の使いどころを示すものである。
─ 「方証」とは,その方(方剤)の使いどころや適用範囲を直接的に示す「証」であり,「薬証」も同様ですが,薬味加減の根据となる「証」でもあります。
─ 中には反対の「禁証」もあります。これは誤用を防ぐための「証」です。
■ 「証」とは見なせないもの:
・病名(〜病、〜症、〜症候群など)は大分類であるため決して「証」とは見なせない。
・考えられる原因が複数存在する症状。その原因毎に「証」が存在する場合がある。
・臨床検査で得られるデータ(一部を除く)。
─ 体温計すら無い時代から様々な病気を治療してきた医学です。強く悪寒がする人に対し,高熱(体温計による)が出ているからといって安易に解熱剤を投与すると危険な場合があります。また,一般的には深部体温を測れないため不完全です。
─ もっとも,血圧など臨床検査で極端な異常値が現れている場合は併せて意識するよう注意が必要です。
■ 「証」の例:
各論で解説する内容ですが,ほんの一部を紹介しますと,例えば桂枝の「薬証」(桂枝証)は“気上衝(衝逆、衝気上逆)”が主となります。これには“胸腹動悸、心律異常(不整脈)、不安感、一時的な乾嘔や噎せ”など,臍筑(臍腹部の跳動)がして心、胸、上腹部に突き上がることによる証候が含まれます。
[桂枝湯]の「方証」([桂枝湯」証)は主に“熱感の自覚、悪風、自汗、衝逆(気の上衝感、動悸、乾嘔)、筋肉の痙攣拘急、舌質淡紅〜暗淡,舌苔薄白、脈浮弱”となります。
[桂枝湯]は基本方でして,配合による加減方が最も多く,その配合によって「方証」が変化します。また,解説内容も最も多いです。
掲載:2023/07/13
更新:2025/04/17
《傷寒雑病論》の条文を徹底比較して見出し,事実に基づいた情報(臨床経験や研究報告など)を集めて参考にし,より確かなものとする。薬証の理解を深めることによって方証に対する理解も深まり,柔軟に加減を行うことができるようになる。また,これを極めれば新しい処方を組むことも可能になる。
例えば,〔桂枝体質〕向けの[小青竜湯]としては[小青竜湯]去麻黄を、また同じく〔桂枝体質〕向けの[麻黄附子細辛湯]として[桂枝附子細辛湯]なども必要とする機会が有るかも知れません。
更に具体的には「各論」の内容となります。
掲載:2023/07/13
更新:----/--/--
ある特定の証候の集合体(個々の薬証の集合体でもあれば,配合による証もあります)を一本の樹木に例えると,その幹(本または主)に相当する証候は特定の基本処方によって治療できる。また枝葉(標または客)に相当する証候は,そのまま(或いは必要に応じた加減により)治療できる。しかし異なる樹木である場合は,その樹木毎に適合する基本処方を適切に選定しなければ,その病は癒えなかったり悪化したりする。様々な樹木があるが,各々に異なる特徴があり,その特徴が即ち方証である。
[桂枝茯苓丸]を例に説明します。主証は癥痼(ちょう・こ)と呼ばれる下腹中に痞塊(主に子宮筋腫など)ができるものですが,月経血の塊が目立つ場合もこれに該当します。それから後で述べる〔桂枝体質〕であることも重要です。
[桂枝茯苓丸]の治療範囲にある客証(つまり枝葉の部分)は,“眼病、癰(よう・カルブンケル)・癤(せつ・フルンケル)などのおでき、肌荒れ、のぼせ、動悸、眩暈、神経症、月経不順、月経痛、不妊症、子宮周囲炎、ネフローゼなどの腎病(小便不利)、下腹部の牽引痛、男性であれば前立腺肥大”などといった具合に非常に多いですが,これら客証に合わせて主方を選定した場合は的外れとなる恐れが生じます。よく似た効能を持つ方も有りますから,つまり全く別の樹木(処方)を選んでしまうことになり,少なくとも主証が治らない可能性が出てきます。
薬証や方証というのは,それぞれ唯一無二であることが理想的です。例えば桂枝証の一つに“衝逆”が有りますが,他の薬証には有りません。ところが“小便不利”という証候だけでは茯苓、白朮、猪苓など複数が該当しますので,唯一無二とするには他の証候と組み合わせる必要があります。例えば,白朮であれば“口渇して小便不利、舌苔が厚き者”といった具合になります。
掲載:2023/07/13
更新:----/--/--
類方とは,治療の中心となる薬味が含まれている方ごとに分類したものである。
※分類方法は,分類する者の考え方による違いがあるため,結果として複数の形が存在する。
研究を進めていく上での基盤となるのが,主に『傷寒類方』(徐霊胎)、『類聚方』(吉益東洞)などであるが,先ずは『傷寒類方』(徐霊胎)から触れてみる。
『傷寒類方』序(清・徐霊胎序)
王叔和《傷寒例》云:今捜採仲景旧論,録其証候診脈声色,対病真方,擬防世急。則知《傷寒論》当時已無成書,乃叔和之所捜集者。雖分定六経,而語無詮次,陽経中多陰経治法,陰経中多陽経治法,参錯不一。後人各生議論,毎成一書,必前後更易数条,互相眥議,各是其説,愈更愈乱,終無定論。不知此書非仲景依経立方之書,乃救誤之書也。其自序云:傷夭横之莫救,所以尋求古訓,博採衆方。蓋因誤治之後,変症錯雑,必無循経現症之理。当時著書,亦不過随症立方,本無一定之次序也。余始亦疑其有錯乱,乃探求三十年,而後悟其所以然乃故,於是不類経而類方。蓋方之治病有定,而病之変遷無定,知其一定之治,随其病之千変万化而応用不爽。此従流溯源之法,病無遁形矣。至於用薬,則各自條理,解肌発汗,攻邪散痞,逐水駆寒,温中除熱,皆有主方。其加減軽重,又各有法度,不可分毫假借。細分之,不外十二類,毎類先定主方,即以同類諸方附焉。其方之精思妙用,又復一一注明,條分而縷悉之。随以論中用此方之症,列於方後,而更発明其所以然之故,使読者於病情薬性一目顕然。不論従何経来,従何経去,而見症施治,与仲景之意,無不吻合,豈非至便之法乎。余纂集成帙之後,又復鑽窮者七年,而五易其稿,乃無遺憾。前宋朱肱《活人書》亦曽彙治法於方後,但方不分類,而又無所発明,故閲之終不得其要領。此書之成,後之読《傷寒論》者,庶可以此為津梁乎。
乾隆二十四年歳在屠維単閼陽月上浣溪徐大椿序
徐霊胎(じょ・れいたい)は清代に活躍された中医である。『傷寒類方』の名のとおり《金匱要略》の方は分類に含まれていないが,方向性や思考の筋道は大変参考になるので,以下に要約して述べる。
徐霊胎は始め,古人の訓えに基づき傷寒六経の伝変にしたがって疾病の治療を行っていたが,実際の病情の変化は大変複雑なため六経の伝変と一致しない場合が多く,この分類に疑いを持っていたようである。では,何か一定の法則があるのではなかろうかと探求すること三十年,“経で類別するのではなく「方」で類別(類方)するのだ”と悟った。“病を治療する「方」には定まりがあるが,病の変遷には定まりがない”ということが,これに気付く鍵となったのである。解肌発汗,攻邪散痞,逐水駆寒,温中除熱などに用いる方には皆主方があり,薬量を増減した方や薬味を加減した方をその附方として集めてまとめると十二種類になる。こうしてできたのが『傷寒類方』である。
吉益東洞(よします・とうどう)は江戸時代に活躍された日本の名医である。氏は『類聚方』、『薬徴』、『方極』、『方機』などを後世に残した。その内容から察するには,大変厳しく、疾医に強い拘りを持たれ、古人の憶測や妄想に対して容赦なく辛辣に異を唱えているが,そこには確固たる理がある。『類聚方』には《金匱要略》の方も,その多くが収載、分類されているが,残念ながら薬・方の証とは直接関係のない,理論に関するのみの条文は概ね排除されている。
ちなみに徐霊胎の別名は徐大椿(じょ・だいちゅん)、張仲景の別名は張機(ちょう・き)、吉益東洞の別名は吉益周助(よします・しゅうすけ)というそうです。
理由の大筋は既に述べましたが,もう少しだけ詳しくお話しします。
張仲景は二百余りいた一族の三分の二を傷寒病(外感病)及び内傷雑病によって失ったことを切っ掛けに,およそ二千年前までの経験処方を集め,傷寒病の辨脈証治を《傷寒論》(《傷寒卒病論》)として、また内傷雑病の辨脈証治を《金匱要略》(《金匱要略方論》)としてそれぞれ書き記し,合わせて《傷寒雑病論》とした。
まとめる際には何らかの基準による分類が必要となる。《傷寒論》は,恐らくは古代の分類法の一つであったであろう三陰三陽の六経を採用し,外感病の深浅病位を6つに分け,それぞれに定義を施してある。また《金匱要略》は内傷雑病の中で共通する証候毎に病症を定義して分けられている。
《傷寒論》で扱う外感病は,徐霊胎も序文で触れているとおり時代と共に変化している。例えば,二千年前には大流行したであろう伝染病が,現代では撲滅や衛生面の向上または予防接種などによって殆ど見られなくなったり,反対に海外旅行や対外貿易などによる大陸規模(或いは地球規模)の拡散や抗生剤の多用などによる変異種の誕生または食中毒の波など,過去には無かったか或いは極めて稀であった伝染病の蔓延がある。
六経という古の迷宮に陥り,延々とその答えを得られず彷徨い続けるのは,既に六経では対応しきれない程の変化に気付くことができないからであろう。
《金匱要略》で採用されている病症分類にもまた問題がある。病名には増え続ける性質があり,中には改名されたり置き去りにされるものも有り,比較的緩やかではあるが変化に絶えないものである。
“《金匱要略》は現代でも役に立つことが多いが《傷寒論》は扱いにくい”という意見を耳にしたことがあるが,これも同じ理由と言えよう。
結論としては,類方も歴とした分類方法であり,基本的に不変であるため,たとえ外感病や病名などに大きな変化が生じたとしても,その大半は揺るぎなく治療という役割を全うできると考えるからである。
掲載:2023/07/13
更新:----/--/--
桂枝、麻黄、柴胡、黄耆、大黄の五種に分け,それぞれの加味や類方の適用頻度が高い者に共通する,平素および疾患時の全身特徴をまとめたものである。
体質の識別は,主に四診中の“望、問、切”を用い,患者の“体型、皮膚、脈象、舌象”を観察することによって行う。
体質の識別のみによってどの薬方を使用するかを直接決定できるものではないが,用薬治療の方向を提示することによって方証の辨別を一歩進めることができるため大変重要である。また,誤治を防ぐ大きな助けにもなる。わかりにくい場合は,消去法も活用すると良い。
1.〔桂枝体質〕(「桂枝証」および桂枝類方証が現れる頻度の比較的高い体質類型)
【外観特徴】:体型偏痩,皮膚比較白,紋理(皮膚のきめ)比較細,肌表湿潤,肌肉(筋肉)較硬,腹部多扁平,腹肌(腹筋)比較緊張,目有神気,唇淡紅或暗,脈象常浮大、軽按即得,舌体柔軟淡紅或暗淡、舌面潤,苔薄白。
【好発症状】:易出汗,或自汗,或盗汗,或手足出汗,対寒冷、疼痛及心理刺激敏感,易傷風感冒,易腹痛,易心動悸,睡眠浅或多夢,易便秘,易肌肉拘攣等。
【体質特徴】:多風、多熱(表易虚,裏易実)。
2.〔麻黄体質〕(「麻黄証」および麻黄類方証が現れる頻度の比較的高い体質類型)
【外観特徴】:体型略胖,肌肉比較発達或偏鬆,膚色黄或淡黄色,或浅黒色、皮膚較粗、較乾燥。平時不易出汗,身体比較壮実。血圧不高。唇暗或紫紅、舌体偏大,舌質淡紅,口不乾、苔白。
【好発症状】:易閉汗或汗出不暢,易受寒,易喘,易鼻塞流清涕,肌肉酸重感,全身倦怠感,感覚不敏感,心下部重圧感或腹脹,頭重感,有浮腫傾向。
【体質傾向】:多寒、多湿(表易実,裏易虚)。
3.〔柴胡体質〕(「柴胡証」および柴胡類方証が現れる頻度の比較的高い体質類型)
【外観特徴】:体型中等或偏痩,面色微暗黄,或青黄色,或青白色,缺乏(欠乏)光沢。皮膚比較乾燥,肌肉比較堅緊,舌質堅老、暗而紫点、舌体不淡胖,舌苔正常或偏乾。脈象多弦細。
【好発症状】:主訴以自覚症状為多,対気温変化的反応敏感,或時有寒熱感,情緒的波動較大,食欲易受情緒的影響。胸脇部時有気塞満悶感,或有触痛,肩頚部常有酸重感、拘攣感,四肢常冷,少腹部易脹痛。女性月経周期不斉,経前多見胸悶乳脹、煩躁、経来腹痛、経血暗或有血塊。
【体質傾向】:多気滞、多血瘀(半表半裏,或無表裏証,変化不穏定)。
4.〔黄耆体質〕(「黄耆証」および黄耆類方証が現れる頻度の比較的高い体質類型)
【外観持徴】:面色黄白或黄紅隠隠,或黄暗,缺乏光沢。肌肉鬆軟,浮腫貌,目少精彩,面色無華。腹壁軟弱無力。舌質淡胖,苔潤。
【好発症状】:平素易出汗,畏風,遇風冷易過敏,或咳嗽気喘,或鼻塞,易感冒。大便稀溏、不成形、或先乾後溏。食欲不振,易腹脹満。易浮腫、特別是足腫,手足易麻木。
【体質傾向】:多風、多湿(表易虚、裏易虚)。
5.〔大黄体質〕(「大黄証」および大黄類方証が現れる頻度の比較的高い体質類型)
【外観特徴】:体格壮実,肌肉堅緊,面色紅有油光,或面膩滞(汚れ様),唇厚暗紅。舌苔厚而乾燥。
【好発症状】:平素畏熱喜涼,食欲旺盛,易発頭暈頭昏,易便秘,汗少或汗出不暢,胸悶,口乾苦,痰液唾液粘稠,血脂、血圧偏高,腹部有圧痛感或抵抗感。
【体質傾向】:多熱、多火(裏易実,表易実)。
以上,『中医十大類方』(江蘇科学技術出版社)より抜粋・編集
研究により更に拡張させた資料(2倍強の内容)もありますが,ここではこのくらいにしておきます。
参考のため追記しておきます。
黄連類方型の体質(〔陽熱体質〕)
【外観特徴】:体格較強健,面色潮紅或紅黒,有油光,目睛充血多目眵(目やに),口唇暗紅或紫紅,舌質紅或暗紅、質堅斂蒼老,舌苔薄黄或黄膩,腹部肌肉較緊張,按之有力或有不適感。
【好発症状】:平時喜涼悪熱,喜涼飲,易煩躁、焦慮,好動,易失眠多夢,皮膚常有瘡癤,上腹部常痞悶不適,口乾口苦,常有口舌潰瘍,咽痛,小便黄短。
附子類方型の体質(〔陰寒体質〕)
【外観特徴】:形体偏胖,肌肉偏鬆,皮膚乾燥,面色晦暗或暗黄、缺乏光沢,或有浮腫貌,目睛無神,精神萎靡,面帯倦容,唇色暗淡乾枯,舌質胖淡而暗,苔白潤,腹肌鬆軟,按之無力。
【好発症状】:平時畏寒喜暖,四肢常冷,尤其是下半身冷,易疲倦,好静悪動,大便常稀溏不成形,口不乾渇或渇不多飲而喜熱飲,小便清長。
体質は桂枝、麻黄、柴胡、黄耆、大黄に大別しているが,これには複合型も存在し,複合の割合も様々である。
複合型には,普段の観察や臨床において〔桂枝体質〕+〔黄耆体質〕、〔桂枝体質〕+〔柴胡体質〕、〔柴胡体質〕+〔黄耆体質〕などが確認できているが,例えば〔桂枝体質〕+「柴胡証」のように体質ではなく証が重なった場合もあるため,一定の見極めが必要である。
〔桂枝体質〕+〔麻黄体質〕 … 相反する点があるため存在しない。
〔桂枝体質〕でも一時的に「麻黄証」が見られることはある(例えば,寒冷時の[小青竜湯]証など)。
〔麻黄体質〕の「桂枝証」は普通に存在する。麻黄類方には桂麻剤も多い。
〔麻黄体質〕+〔柴胡体質〕 … 存在しない。経方には麻黄と柴胡の配合方が無い。
〔麻黄体質〕の「柴胡証」および〔柴胡体質〕の「麻黄証」は,どちらもはっきりとした確認が得られていない。
〔麻黄体質〕+〔黄耆体質〕 … 相反する点があるため存在しない。
〔麻黄体質〕の「黄耆証」は存在する(例えば[三黄湯]、[烏頭湯]がある)。
〔黄耆体質〕の「麻黄証」は存在する(例えば[防已黄耆湯]加麻黄がある)。
〔大黄体質〕+他の体質 … 存在しないようである(確認が得られていない)。
他の四体質それぞれに「大黄証」が見られることは多いが,〔大黄体質〕となると,その複合型は無さそうである。
この他,一般に性格は指標になりませんが,体質ゆえの性格であれば参考になることもあります。これは確認情報の一つに留めておくことが望ましいです。
掲載:2023/07/13
更新:2025/04/08
異病同治とは,異なる病(病症)であっても証が等しければ,同じ方法(薬方)で治療することであり,同病異治とは,反対に同じ病であっても証が異なれば,その証に基づいた方法で治療することである。換言すると,如何なる場合であっても証に基づいて施治するということであり,治療法が証に適合してさえいれば,結果として同病同治となっても何ら問題は無い。内傷雑病では,実際に行われている殆どが異病同治または同病異治であり,同病同治はむしろ少ない。
(念のため,“異病異治”という言葉は無い。)
西洋医学(現代医学)では専ら統計学的に同病同治を行っています。何割に有効であるというデータは残せても,無効の例は暫く置き去りで新たな治療法や新薬を待つしかありません。
西洋薬(合成薬やバイオ薬)も証で分類することによって有効性や質を高めることができると考えますが,この方法が使えるようになるまでには膨大な時間と費用が必要となるでしょう。
国家プロジェクトでも立ち上げてもらえれば可能かも知れませんが,利権が生まれるだけで,そもそも廃止した医学には目もくれないでしょうし,漢方の真髄を理解している者が政府に居ないので土台無理なお話しです。
掲載:2023/07/13
更新:----/--/--
病因はその病の原因であり,病機はその病に至った経緯である。
病の原因は様々であるが,その中でも吉益東洞が“萬病一毒”(※)という言葉を残しているとおり,現代も変わらず生活の中にある原因が最も多い。
(※)萬病(万病)とは大抵の病気を指す。一毒とは“食い過ぎ”であり,主に暴飲暴食(飲食不節、偏食)や美食三昧を意味する。
現代に至っても尚,これらは“○○という六淫(りくいん)の病邪が云々”などのように抽象的な表現を用いて説明されているが,これは東洋医学(引いては医学全体)の発展を妨げる大きな障害の一つであり,具体的で伝えやすい表現に改めるべき課題である。
疾病の原因というのはなかなか難しいもので,分からず仕舞いに終わることの方が多いです。
直接的な原因は判明しやすいですが,間接的な場合は多くが複雑なため結局は判明せず,自律神経の乱れ、遺伝、生きている証拠などとあしらわれるケースもあるようです。
ですが,最低限として今の情況(全身状態)が詳しく分かれば,手遅れでない限り治療は施せます。
少し以前(または発症時)の情況やその時からの変化も分かれば尚良いです。
掲載:2023/07/13
更新:----/--/--
“論”は“治”の後でよい(辨証論治ではなく辨証施治が望ましい)。つまり,“治”の経験があってこその“論”であるから,その後の治療に役立つ内容でなければならない。
掲載:2023/07/13
更新:----/--/--
理論の全てを否定することはできません。理論が無ければ世の中の殆どが成り立たなくなってしまいます。しかし,「日本漢方の啓蒙」のページで述べましたとおり,理論には不要なものが多分に入り組んでいます。間違った理論や解釈をそのままにしておくと,往々にして判断の目を曇らせることになりますので,次に繋げるため一定の節目毎にそれらを精査して取り除かなければなりません。
私は現代中医学から学び始め,途中で多くの矛盾に気付いて早めに切り替えましたが,結果として少なくとも半分以上の現代中医学理論を捨て去りました。
本来であれば,自分から進んで資料を集め、多くを学び、多くを体験し、(権威ある者の教えや意見に捕らわれず)自身で考え、間違いに気付く度に修正を重ねて成長していくのが私の理想とするところですが,時間が無い場合や行き詰まった際の道標として要点を以下にまとめましたので,参考程度に活用して頂ければ幸いです。
※私の考え方や意見にも不充分な点や誤りが残っている筈ですので,繰り返しますが「自身で考える」ことの大切さを忘れないで下さい。
いつの日か修正できるのであれば,始めの内は間違っても構わないと思います。
自身で考えることができるのにしないのは不幸なことだと思います。
“何も考えず盲目的に権威を敬うことは,真実に対する最大の敵である。”アルベルト・アインシュタイン(物理学者)
【補足】
仕分けの基準は,本ページ一番上の「目標」を達成するために役立つか否かです。
言い換えますと,結局のところ何(方・薬)を使用してどのように治療を行うかを決定する際の必要性です。
時間を充分にお持ちの方や急がない方は,以下を参考にせず一通り学んでみると良いでしょう。
「群盲象を評す(撫づ)※」という諺から倣い,病気も病人全体を把握する必要がある。私達が存在している次元は基本的に立体の三次元であり,その中には同時に零〜二次元も存在している。陰陽は一次元であり,物事を太極を以て区別することは医学においても必要なことがある(中には中間的なものが存在することも念頭に置くべきである)。しかし,対立、依存、消長、転化などの哲学的な思考に偏ると,現実とは符合しないところにまで及んでしまうので,節度を保って用いるべきである。
※「群盲象を評す」:幾人もの盲人が象に触れ,それぞれ自分が触れた部分しか評価できず,結果として全体の評価ができていないことの例え。(ある者は太くて長い蛇のような生き物であると、またある者は硬くて大きい壁のような生き物であると、、、という具合に,彼らの評価には象全体の姿が無い。)
陰陽:漢方の分野で使用する場合は“いんよう”と読みます。
陰陽理論は各辨証法(八綱、気血津液、臓腑、六経、衛気営血、三焦)の要素となる他,哲学、科学、数学など様々な分野に通じる特徴もあって非常に奥深く難しいものです。これを安易に解釈して判断の基準にするのは避けた方が良いでしょう。他の分野の不要な観念が混ざり込むと複雑になり過ぎて大切な部分がぼやけてしまいます。
《傷寒雑病論》では直接的に表現しています(桂枝湯が必要な証を桂枝湯証としています)。
【参考】
上記「群盲象を評す」と関係が有りそうな格言を紹介します。
“誰もが見ていながら誰も気付かなかったことに気付く。研究とはそういうものだ。”コーラント・ローレンツ(動物学者)
既に存在や原理などが確定されている事象であっても,振り返って幾度か考えている内に新たな発見が得られるかも知れません(今まで気付かなかったことに気付くかも知れません)。
私は,他人(ひと)と同じ事を意識しつつ,違うことも考えていなければ落ち着けない性分です。そのためか,過去には天の邪鬼(あまのじゃく)と言われたことが幾度もありました。恐らく,間違った行為や解釈に流されたくないという気持ちがそうさせているのだと理解しています。ここにも,自身で考えることの大切さが含まれていると思います。
これは八卦などと同様に,天動説が当たり前とされる時代(※)に生まれた方位学や易学が元となっており,万物を5つに分類し,それぞれの盛衰や他の要素に対する(或いは他の要素から受ける)影響などを考える平面(二次元)的な自然哲学理論である。現代中医ではこれに臓象や七情などを当てはめて証治を行っている(「臓象学説」や「臓腑辨証」など)。
(※)地動説が正しいと認められたのは,西洋よりもずっと後の時代である。
事実のみを当てはめたものであるならば,それは理想的であり大いに役立つのであるが,元が架空の理論であるためどうしても所々に隙間(空白)ができてしまう。その穴埋めに机上の理論を以て当てている部分があるため,結局は充分な使い物になっていない。また,このような不完全な理屈を西洋医学と結びつけようとすることは無茶な話である。
《金匱要略》臓腑経絡先後病脈証第一 には関連する条文があるが,これは後世の何者かによる加筆の可能性がある。仮に仲景自身によって書かれたとしても,その具体的な治療法(用薬)が記されていない。第一句が“上工治未病”であることから察すると,高明な医者が未だ病に至っていない人の防治を行う際の例えに過ぎない。また,我々はそこまで高明な医者でないことを自覚すべきである。
症例を五行(臓腑)の相関関係で分析、解釈、評価する流派がある。この理論は皮肉にも巧妙なもので,大抵はこれだけでも論破できてしまう。だがしかし,往々にして他の症例に対してはそのままの形では応用できないため,結局は新たにその症例固有の分析、解釈、評価を行うこととなる。再び他の症例に対する応用を問うと,机上の理論という接着剤を用意して半ば強引に結びつけようとする。まるで当たらない占いのようなものになってしまっているのである。
用薬治療では,経絡の理論や辨証法は不要である。
仲景の条文には経絡に関する語句が度々出てくるが,後世の何者かによる後付けとされる説が多い。
もし仲景自身が書いたのであるならば,もっと詳しく濃い内容になっていたのではなかろうか。
「気」とは実体の無い(新陳代謝や諸種活動の)原動力である他,気体(ガス)、生体の防御力、腹中の動きなどを指す。「津液」とは腸管から吸収された後に生体が必要とする清浄な体液である。「血」とは即ち血液であり,紅く粘稠な液体であって,運行(循環)させるための営気および津液から成る。
中医基礎理論では概ねこのように習った訳であるが,証治の課程で疑問が噴出する。
血虚証を例に挙げると,治療に用いるのは補血剤の代表方である四物湯や補血薬の当帰、阿膠、地黄、芍薬(白)などであるが,実際の情況ではこれらだけで血液(血の説明に血液とあるため)を補えるものではない。しかも西洋医学で言うところの貧血の治療にも同じ薬方で対応できるといった大きな誤解が生じてしまう。更に血虚証の臨床表現は「面色蒼白或萎黄,唇色淡白,頭暈眼花,心悸失眠,手足発麻,婦女経行量少,衍期甚或経閉,舌質淡,脈細無力。」となっているが,これもまた単純な貧血の表現そのものである。
四物湯を使用するからには,当帰、川芎、芍薬、地黄それぞれの証を必ず含めなければならない。また“血”の説明には,血が産生する“爪、皮膚、毛髪、筋肉、その他の組織”などを含めるべきである。さもなくば,人体の構成要素を3つに分けた場合,血が液体のままだと,人体は気体を含む動く液体の集まりと解釈せざるを得なくなる。
再び述べるが,補血薬だけでは血は補えない。当帰には鉄分や V・B12 などが含まれてはいるが,微量であるため改善には遠く及ばない。補血薬は血液を補ったり血に相当する組織の修復を行ったり充実させるための環境を作っているだけであり,実際に血を補うのは相応の食料(つまり水穀の精微)である。そのため,治療全体を完成させるには飲食の指導も不可欠な筈であるが,このようなことは一般の教科書には書かれていない。また,大量の失血では輸血が必要となる。
病邪の性質を“風、寒、暑、湿、燥、火(熱)”に分類したもので,中国において古来より用いられてきた独特な表現や認識であるため,外国人(日本人を含め)には相応の想像力が要求される。無理な使用を避けるか,または重要な部分では直接的で分かりやすい表現に置き換えるべきである。
「望聞問切」の合参は極めて重要である。
特に「望診」は,これを極めた者であれば他の診察法を用いずとも大半の治療が行えてしまうほどの重要性を持つ。
「切診(触診)」には脈診と腹診(按診)があり,どちらかと言えば中国では脈診に重きが置かれ,日本では腹診に重きが置かれてきたようである。《傷寒雑病論》でも(少々遠回しな表現もあるが)使用されているので,これも活用すべきである。例えば,ある特定の薬味が本当に必要か否かを確認する際に重要な根拠となるが,同時に見落としの有無も確認することができる。また,脈象や腹証(腹候)は基本的に正直であり嘘が少ない。
「問診」では往々にして事実と異なる答えが返ってくる。一般的には四診の合参によって解決するが,見極めるための推察力や話術もある程度は必要かも知れない。
「聞診」は嗅覚や聴覚を使用する診察法であるが,聴覚の場合は無意識に行えていると思われる。例えば,会話時の語気や呼吸音などが主である。嗅覚による診察は,門診(日本では外来受診)ではあまり用いないが,病棟や往診または生活を共にする場合では役立つ機会があるだろう。
【補足】
一般に,味覚は使用しません(一部は問診に含まれます)。自分の汗を舐めて大まかな体調を知ることはありますが,どの薬を用いるかの根据にはなりませんし,経典にも具体的な記載がありません。多くは飲食の調節や運動、休息によって改善できます(汗の“色”については望診または問診を行います)。
【参考】
以上は五感と対話による主観的、客観的な診察ですが,第六感によるものも重要と考えます。天才科学者ニコラ・テスラは“考えること”と言っていますが,私はここからヒントを得て“確かな経験に基づく直感”と解釈しています。五感は志があれば(※)診察に使える程度の能力は自然と身に付きますが,第六感は現代では個々に経験を積むしかありません。
(※)志があれば自然と意識するようになります。
経験を伝える上で言葉は大切ですが,曲解されやすく言葉選びにも限界があります(百聞は一見にしかず)。五感で得た経験を他人に正しく伝えるには,その相手も同様の経験を有している必要があります。古き時代では師に付き従って同じタイミングで同じ患者を観察しつつ治療を行い,これに言葉を添えて説明していましたので,正しく伝えられていました。
打開策として,漢方家が残した医案(症例)を元にイメージトレーニングを行うのも良いでしょう。精神的な疲労が大きいですが,自分がその治療を行っている場面をできるだけ細かく想像するのです(時代背景、生活習慣、季節、体質なども)。
更に疲労が重なりますが,患者の状態を自分に置き換えて想像します。はじめの内は体調を損ねやすいですが,数をこなす内に少しずつ慣れてきます。
注意点としては,一度に多くを行わないことです。疲労が重なってしまうこと以外に,複数の症例が意識の中で混ざってしまうことがあるためです。1例ずつ整理し,これを反復させます。
実際に得た経験は一度で記憶に残りやすいですが,トレーニングによる疑似体験には,やはり一定回数の反復が必要です。
この他,理論上では第七感というものもあるようですが,これは更に高次元の感覚ですし,漢方治療の範疇を大きく越えますのでこれ以上はお話ししません。
主に病気の特性を“表・裏(深浅)、虚・実(不足と剰余)、寒・熱(寒冷と温熱の性質)、陰・陽(太極)”の8つの要素に分けて考えるものであるが,実際に辨証で役立つのは表裏虚実寒熱の六綱である。間違いを避けるための大別(例えば,方証や病勢の比較など)には大いに役立つが,拘って細分化に使用すると辻褄が合わなくなることがある。
経の伝変については既に述べたとおり特に拘らない。
《温病条辨》の独特な辨証法である。元々は《傷寒論》の範疇であるため参考程度とし,特に分けて使用しない。
《神農本草経》などを元に現代中医学の理論で肉付けされている。特に性味帰経には不可解な点(※)が多いため,深くを求めない。
(※)代表的なものとしては,人参に有るとされる“大補元気”の効能、石膏の薬性とされる“大寒”、枝・葉は軽いため表証(または上焦)に用い,根は主に裏証(または下焦)に用いるなど,例外の方が多いような理屈が多く混在している。これらには憶測や迷信によるものが多いため信頼できない。また,“引経薬”という概念も当然のことながら理由にできない。これが罷り通るなら,多くの薬味が引経薬で片付いてしまうことになる。これで素直に納得できる疾医は居ない筈である。
この他,補益薬や補剤に分類されている薬方には,直接不足を補うものが極めて少ないことにお気付きだろうか。実際に不足を補うのは飲食物の栄養分(つまり水穀の精微)である。食療として飲食の指導も適切に行わなければ往々にして治療は完成しない。生薬の中には養生に食材としても使用できるものがあるので応用するとよい。
臨床で運用する際に決め手となる本来の証または証候ではなく,臓象学説(五行)を元にした臓腑辨証や八綱辨証による証で解説した内容が大部分である。
組成、薬量、出典などを確認する上での参考にはなるが,現代医学に寄せるためと思われる効能の羅列が目立つため,辨証施治では頼りにならない。また,安易に扱うと対病症治療となってしまう(現代医学では専ら効能や作用に基づいて薬を運用している)。
後世方には病人不在の下で理論のみから生まれた処方や配合があるが,それらは臨床的ではないため除外する必要がある。
主に《金匱要略》を現代中医学の理論を元に構成し直した内容である。一定の知識(専門用語やその意味など)は得られるが,実際に役立つか否かは疑問である。直接《金匱要略》を学ぶ者にとっては無くてもよい。婦人科、小児科、五官科なども同様である。
西洋医学(現代医学)との接点があるとするならば,それは主に生理学と薬理学(更に細かくは生化学)であると考えられる。これらはどちらも実際に起こっていることを研究する分野であるため,現在研究している“証”とも一致するところが多い。ただ,病理学となると複雑な部分が多くなり,西洋医学の色が濃くなるため,参考にはなるにしても接点は多くないようである(漢方には解剖学が無い)。西洋医学の病名は病理学から生まれることが多いので,その辺から食い違いが生じることもある。
掲載:2023/07/13
更新:2024/05/22
各論では《傷寒雑病論》の条文や語句が頻繁に出てくるため,予めこれらに馴染む必要があります。
条文を読んだり比較をする際に陥りやすい解釈の誤り等を防ぐため,その要点を以下に説明します。
《傷寒論》および《金匱要略》の学習には,古文特有の文法表現を理解する他,「互文見義」、「倒置法」、「挿入法」、「省略法」など幾つかの筆法についても,これらをより正しく読み進めていくために把握しておかなければならない。
《傷寒論》および《金匱要略》のある一つの病証について論じる場合,その病因、病機、主証、治法および鑑別診断などは往々にして前後各条に分散しているが,正にこれが古代文献の特徴とも言える要点のみの非常に簡略化されたものとなっている。
これら関連条文を「互文」と言い,互いに照合し,相互に補充し合い,細かな事柄に注意して読み進めることによってその意義を捕らえることができるようになる。
「互文」のような筆法は《傷寒論》および《金匱要略》中に挙例しきれないほど多く存在する。
例1:[五苓散]証
“若脈浮,小便不利,微熱消渇者,五苓散主之”《傷寒》太陽病中・第71条
“発汗已,脈浮数,煩渇者,五苓散主之”《傷寒》太陽病中・第72条
上記の2条から総合的に分析すると,表(ひょう)には微熱、汗出、脈浮数などが,また裏(り)には煩渇、小便不利などが現れている。
これは水飲内停に至った太陽病蓄水証であるが,[五苓散]証は小便不利の蓄水であるから上記の主証以外に“少腹満”の一証も非常に重要となってくる。
ではなぜ上記2条の原文中では“少腹満”を挙げていないのであろうか?記載に漏れがあったのだろうか?もちろんそうではない。
[五苓散]証の“少腹満”は蓄血証を論じる場合にようやく出てくる。
“傷寒有熱,少腹満,応小便不利,今反利者,為有血也。当下之,不可余薬。宜抵当丸”《傷寒》太陽病中・第126条
この条文は主に蓄血証に[抵当丸]を用いてその瘀を攻することが書かれているが,これと同時に蓄水の[五苓散]証と相互に鑑別する必要がある。“傷寒有熱,少腹満”は蓄血と蓄水共通に見られる。
蓄水では“応小便不利(小便不利となる筈)”であるが,“今反利(今は却って利する)”であることから蓄血と判断して間違いなく,ここで瘀を攻する必要が出てくる。また“有血”は蓄血のことである。
本条文で明らかなのは[五苓散]証には蓄水“少腹満”の一証がある筈であるが,かなり後になって論じている。このような「互文」の筆法は非常に典型的である。
「互文」は,一般的には《傷寒論》中のそれぞれ関連する条文を互いに対照させ,参考にすることで更に深く理解していかなければならない。しかしながら,これはただ一つの方面に過ぎない。
もう一つの方面は《金匱要略》であり,これは《傷寒雑病論》から分離されてきたものである。もとは一家であり,《傷寒論》中の幾つかの方証は《金匱要略》中にも存在し,また往々にして互いに補充されている。そのためこれらを相互に照らし合わせることで一層充実したものとなる。
以下に[大柴胡湯]を例に挙げて説明する。
例2:[大柴胡湯]証
“太陽病,過経十余日,反二三下之,後四五日,柴胡証仍在者,先与小柴胡。嘔不止,心下急,鬱鬱微煩者,為未解也,与大柴胡湯,下之則愈”《傷寒》太陽病中・第103条
“傷寒十余日,熱結在裏,復往来寒熱者,与大柴胡湯”《傷寒》太陽病下・第136条
“傷寒発熱,汗出不解,心中痞硬,嘔吐而下利者,大柴胡湯主之”《傷寒》太陽病下・第165条
実際の臨床応用に基づいた[大柴胡湯]の主な適応証は上述の“発熱汗出、往来寒熱、嘔不止、心下急”或いは“心中痞硬、鬱鬱微煩”などの証の他,少なくとも更に“腹部疼痛”一証が存在する。これもやはり脱落したのではなく,“按之心下満痛者,此為実也,当下之,宜大柴胡湯”《金匱》十・第12条と記載されている。この一条は,[大柴胡湯]証の“按之心下満痛”一証を補足しているだけでなく,ある種の実証であることも示している。このような過程を経て[大柴胡湯]証は一層完成されたものとなる。
このように「互文」の筆法を把握することは非常に重要である。これらの他,[甘草乾姜湯]証、[苓桂朮甘湯]証、[十棗湯]証、[桔梗湯]証、[呉茱萸湯]証、[半夏瀉心湯]証などがあり,これらはみな《金匱要略》にて適当な補充が施されているので,相互に参考にする必要がある。
「倒置法」は漢代の文中によく用いられた筆法で,《傷寒論》中にもよく見られる。
これは特に医理に対して重要な関係を持っている。
例1:[桂枝二越婢一湯]証
“太陽病,発熱悪寒,熱多寒少。脈微弱者,此無陽也,不可発汗。宜桂枝二越婢一湯”《傷寒》太陽病上・第27条
この条文を文頭から順に読み進めていくと,脈が微弱で陽気が衰微であるため発汗してはいけないという場合に,発汗剤である[桂枝二越婢一湯]を用いることになるが,矛盾してはいないだろうか?実は少しも矛盾していない。これは「倒置法」により書かれおり,“宜桂枝二越婢一湯”は現代の文法では“熱多寒少”の後に続く。“脈微弱者”以下は汗法を使用する際の警告である。整理すると,“太陽病,発熱し,悪寒し,相対的に熱が多く寒が少ない場合は,[桂枝二越婢一湯]を用いるのが適切である。脈が微弱である場合は,無陽(陽証が無い)であるから,発汗してはならない。”となる。
ところが,《傷寒貫珠集》(尤怡)ではこの条文が「倒置法」で書かれているものとして扱われておらず,“脈弱、無陽可以用小発汗法”(脈が微弱で陽気が衰微のものには少し抑えて発汗してもよい)とあり,更には“設得小汗,其邪必解,乃傷寒発汗之変法也。”(汗が微かに得られれば,その邪は必ず解ける。これはつまり傷寒発汗の変法である。)とも書かれている。このように考えてしまうと,必然的に実際の臨床から大きく離れたものとなってしまう。また,《傷寒来蘇集》(柯韵伯)ではこの条文に対して疑いを示しており,“脈微弱、無陽”の場合は発汗させてはならないことを知っていたらしいが,“此言不可発汗,何得妄用麻黄?”との疑問が残っている。尤氏も柯氏もこの条文が倒置文であることを知らないらしく,古人の書いた書を読むのはやはり容易なことではない。
例2:[麻黄湯]証
“太陽病,脈浮緊,無汗,発熱,身疼痛,八九日不解,表証仍在,此当発其汗。服薬已微除,其人発煩目瞑,劇者必衄,衄乃解。所以然者,陽気重故也。麻黄湯主之”《傷寒》太陽病中・第46条
“太陽病”から“此当発其汗”までを第一段とすると,これは明らかな[麻黄湯]証であり,[麻黄湯]による発汗が必要である。文末の“麻黄湯主之”は現代語文法的に“此当発其汗”の後に置くと辻褄が合う。“服薬已微除”から“陽気重故也”までを第二段とすると,これは服薬後の病状で,いくらか軽減したものの,まだ根元は絶たれていない。このため患者は自覚的に“発煩目瞑,劇者必衄”を訴える。“所以然者,陽気重故也”は衄に対する理由を述べたもので,衄の後更に[麻黄湯]で発汗させるというものではない。成無己は以後更に[麻黄湯]により太陽傷寒の邪を解くと見なしているが,これでは現実に臨床指導が困難になってくる。
この条文以外に[小青竜湯]証の“服湯已渇者,此寒去欲解也。小青竜湯主之”《傷寒》太陽病中・第41条及び[抵当湯]証の“所以然者,以太陽随経,瘀熱在裏故也。抵当湯主之”《傷寒》太陽病中・第124条二条の筆法も《傷寒》太陽病中・第46条と非常によく似た倒置文であり,同様に置き換えて読むことにより全体が正しく見えてくるようになる。
「挿入法」は条文中に挿入文や挿入句を含む形式で,目的は医理を詳しくはっきりさせるところにある。
例1:[苓桂朮甘湯]証
“傷寒若吐,若下後,心下逆満,気上衝胸,起則頭眩,脈沈緊,発汗則動経,身為振振揺者,茯苓桂枝白朮甘草湯主之”《傷寒》太陽病中・第67条
条文中の“発汗則動経,身為振振揺”が挿入文となっているが,これは誤って吐下した際に中陽がすでに虚した状態になっており“心下逆満,気上衝胸,起則頭眩,脈沈緊”が出現している。万一ここで発汗させた場合,陽気がさらに損傷し“動経,身為振振揺”に至ってしまうため,その注意を促すために挿入されている。病状が軽い場合は本方を用い,重い場合は[真武湯]証を考慮する必要がある。現代語では括弧を使用して挿入文を分けて表すことができるが,古書にはそれが無いので誤解を避けるためにも注意して読む必要がある。
例2:[大承気湯]証
“傷寒若吐若下後不解,不大便五六日,上至十余日,日晡所発潮熱,不悪寒,独語如見鬼状。若劇者,発則不識人,循衣摸床,タ而不安,微喘直視,脈弦者生,渋者死。微者,但発熱譫語者,大承気湯主之”《傷寒》陽明病・第212条
本条文はやや長いが,その意義は非常に明確である。“不大便五六日”から“独語如見鬼状”までは陽明府実の典型的な証候である。ゆえに[大承気湯]を用いてその燥実を攻下する。“劇者,発則不識人”から“微者,但発熱譫語”までが挿入された文であり,現代的にはここを括弧でくくるべきところである。“劇者”と“微者”は相対的に見たもので,[大承気湯]の軽重を議論するものであって,重い者は循衣摸床などの危候が現れる。この場合は当然のことながら早急に治療を施さなければならない。その他《傷寒》陽明病・第219条の[白虎湯]証や《傷寒》陽明病・第221条の[梔子豉湯]証も同様に挿入が施されているが,ここではこれらの説明は省略する。
「省略法」は,ある方証が幾条かの複数に渡って記載されている場合,既に記述した内容やその方証には有って当然とされる事柄は省略されていることが多い。これは《傷寒論》、《金匱要略》に共通して至る所にあるため,特に現代人にとって理解し難いものとなっている。筆者は主にこれが《傷寒論》、《金匱要略》が初学者に受け入れられない原因でもあると考えている。しかしながら,これはある項目を設け,それに関する条文を抜粋し整理することで大半は解決する。以下に例を挙げて概略を述べる。
“脈浮数者,法当汗出而愈。若下之,身重心悸者,不可発汗,当自汗出乃解。所以然者,尺中脈微,此裏虚,須表裏実,津液自和,便自汗出愈”《傷寒》太陽病中・第49条
“脈浮緊者,法当身疼痛,宜以汗解之。假令尺中遅者,不可発汗。何以知然?以栄気不足,血少故也”《傷寒》太陽病中・第50条
“脈浮者,病在表,可発汗,宜麻黄湯”《傷寒》太陽病中・第51条
“脈浮而数者,可発汗,宜麻黄湯”《傷寒》太陽病中・第52条
上記4条の脈浮、脈浮数、脈浮緊はいずれも[麻黄湯]証を代表する脈象であるが,ここでは脈象のみで証については詳しく書かれていない。これらは皆「省略法」に属す。「省略法」は自由に使用できるのではなく,これにはある一定の条件が必要である。ではなぜここで「省略法」を用いるのだろうか?それは上記条文以前の“頭痛発熱,身疼腰痛,骨節疼痛,悪風,無汗而喘”《傷寒》太陽病中・第35条で「太陽傷寒麻黄湯証」がほぼはっきりと述べてあるため,重複して説明する必要がないからである。また,《傷寒》太陽病中・第35条では“脈”が、上記4条では“証”がそれぞれ省略されているが,これはやはり互いに参照すべきものであり,決して脈浮数、脈浮緊さえ見られれば[麻黄湯]を使用できるといった単純なものではない。さらに上記4条のねらいは,各条少なくとも一つの重要点について述べているが,これは補足或いは追加事項であり[麻黄湯]の主証を討論するものでないため主証は当然省略できるのである。
この他,[麻黄湯]証の脈は浮緊であるが,発熱無汗に至った時はその熱度は比較的高く脈拍は未だ数ではない。このため《傷寒》太陽病中・第52条での脈浮而数は浮緊而数や単純な脈浮数とは異なるため分けて書かれている。
以上『傷寒論析疑』より一部抜粋、翻訳。
上記以外についての解説は複雑なため各論に移す。
掲載:2023/07/13
更新:2025/04/17
各論は以上の内容を概ね把握した後の研究の場でもあります。
証となりうる特徴を判別したり,薬方の使いどころを探って応用範囲を広げます。
積み重ねである性質上,完成は無いでしょう。
論理的な要素は現代医学にも多く有りますので,疾病に対してうまく共闘できればと思います。
※内容が膨大であることと,学術論文などを作成するために無断で使用される恐れがありますので,公の場には掲載しないつもりです。
極めて現実味に乏しいですが,私が活動できる内に塾などを開ければと思っています。
(個別指導は同じ事を人数分繰り返す必要があり,体力の限界を上回る場合は長続きしませんので,原則として行いません。)
※臨床治療の模範書である《傷寒論》、《金匱要略》にもある程度は触れておく必要があります。不足している部分を補ったり理解を更に深めるため,各論を研究する過程で幾度も参照することとなります。
薬証と含方および主な類方証
最重要薬
桂枝 付:肉桂(桂皮)、麻黄、柴胡、黄耆、大黄、乾姜、半夏、黄連、附子 付:烏頭、石膏、黄芩、黄柏(黄蘗)、梔子(山梔子)、芍薬(白芍) 付:赤芍、枳実、厚朴、当帰、人参、白朮 付:蒼朮、茯苓、竜骨、牡蛎、葛根、細辛、甘草(甘艸)、生姜、大棗
重要薬
知母、杏仁(杏子)、桃仁、牡丹皮(丹皮)、川芎(芎藭)、阿膠、地黄、麦門冬(麦冬)、猪苓、沢瀉、滑石、防已、芒硝(芒消)、桔梗、五味子、呉茱萸、栝楼根(天花粉)、栝楼実(栝楼)、薤白、葶藶子(葶藶)、䗪虫(地鼈虫)、水蛭、虻虫、茵陳蒿(茵陳)
他の漢薬
粳米、淡豆豉(豆豉・香豉)、膠飴、鉛丹、蜀漆、甘遂、文蛤、巴豆、貝母、芫花、大戟、赤石脂、太一禹余糧、禹余糧、旋覆花、代赭石、瓜蒂、赤小豆、麻子仁(麻仁)、蜜、連翹、生梓白皮、鶏子黄、猪膚、白蜜、苦酒、葱白、人尿、猪胆汁、烏梅、蜀椒(川椒、花椒)、木通(通草)、萎蕤、天門冬、白頭翁、秦皮、褌、商陸根(商陸)、海藻、竹葉、薏苡仁(苡仁)、百合、苦参、雄黄、升麻、鼈甲、烏扇、鼠婦、石葦、瞿麦、紫威、蜂窠、赤消(→芒硝)、蜣螂、鍛竈下灰、雲母、菊花、防風、礬石、寒水石、赤石脂、白石脂、紫石英、塩、独活、山茱萸、山薬(薯蕷)、天雄、麴(曲、神曲)、大豆黄巻、白蘞、酸棗仁、乾漆、躋螬、獺肝、射干、紫菀、款冬花、p莢(p角)、小麦、紫参、沢漆、白前、葦茎、瓜瓣、甘李根白皮、白酒、橘皮、狼牙、羊肉、椒目、蒲灰、乱髪、白魚、戎塩、硝石(→芒硝)、礬石、猪膏、醇酒(美清酒)、柏葉、艾葉(艾)、竃中黄土、竹茹、訶梨勒、敗醤、瓜子(冬瓜子)、王不留行、藋細葉、桑東南根白皮、鶏屎白、蜘蛛、葵子、白薇、柏実、蘇葉(紫蘇葉)、土瓜根、葱、新絳、紅藍花、狼牙、、、
他の汎用薬
金銀花、荊芥、紅花、牛膝、車前子、天麻、木香、天南星、釣藤鈎(鈎藤)、枳殻、丹参、党参、沙参、玄参、青皮、陳皮、車前草、灯心草、金銭草、連銭草、海金砂、薄荷、白芷、、、
方の各論
類方を中心に,現代も使用されている後世方も付方として追加で扱います。
基本方、合方(複合方)、加減方、変方などがあります。
掲載:2023/07/13
更新:2024/08/01
書籍名 | 参考部分 | 出版社 |
---|---|---|
〔経典類〕 | ||
高等医薬院校教材 傷寒論講義 | 大部分 | 上海科学技術出版社(中) |
高等医薬院校教材 金匱要略講義 | 大部分 | 上海科学技術出版社(中) |
高等医薬院校教材 温病学 | 一部分 | 上海科学技術出版社(中) |
注解傷寒論 | 一部分 | 人民衛生出版社(中) |
金匱要略方論 | 大部分 | 人民衛生出版社(中) |
温病条辨 | 一部分 | 人民衛生出版社(中) |
金匱要略語訳(中医研究院 編) | 一部分 | 人民衛生出版社(中) |
中医八大経典全注 | 《神農本草経》、《傷寒論》、《金匱要略》 | 華夏出版社(中) |
白話中国四部経典(劉渡舟 主編) | 《傷寒論》、《金匱要略》 | 天津科技翻訳出版公司(中) |
臨床應用 傷寒論解説(大塚敬節 著) | 一部分 | 創元社(日) |
傷寒論演習(講師 藤平健) | 一部分 | 緑書房(日) |
金匱要略講話(大塚敬節 主講) | 一部分 | 創元社(日) |
全訳金匱要略(丸山清康 訳註) | 一部分 | 明徳出版社(日) |
金匱要略解説(何任 著)(和訳) | 一部分 | 東洋学術出版社(日) |
四庫医学叢書(全53巻) | 一部分 | 上海古籍出版社(中) |
中国医学大成(全50巻) | 一部分 | 上海科学技術出版社(中) |
伝世蔵書(全6巻) | 一部分(《神農本草経》、《脈経》他) | 海南国際新聞出版中心(中) |
外台秘要方 | 一部分 | 華夏出版社(中) |
千金方(《備急千金要方》、《千金翼方》) | 一部分 | 華夏出版社(中) |
薬王全書(《備急千金要方》、《千金翼方》) | 一部分 | 華夏出版社(中) |
医宗金鑑(上冊・下冊) | 一部分 | 人民衛生出版社(中) |
脈経 | 一部分 | 商務印書館出版(香港) |
〔近代〕 | ||
近世 漢方医学書集成 10 吉益東洞 | 『薬徴』 | 名著出版(日) |
近世 漢方医学書集成 11 吉益東洞 | 『薬徴』(続編)他 | 名著出版(日) |
近世 漢方医学書集成 12 吉益東洞 | 『類聚方』、『方極』他 | 名著出版(日) |
近世 漢方医学書集成 57 尾台榕堂 | 『類聚方廣義』 | 名著出版(日) |
近世 漢方医学書集成 59 尾台榕堂 | 『重校薬徴』他 | 名著出版(日) |
近世 漢方医学書集成 83 稲葉文礼 和久田叔虎 | 『腹証奇覧』、『腹証奇覧翼』(1) | 名著出版(日) |
近世 漢方医学書集成 84 稲葉文礼 和久田叔虎 | 『腹証奇覧』、『腹証奇覧翼』(2) | 名著出版(日) |
和訓 類聚方広義・重校薬徴(西山英雄 訓訳) | 一部分 | 創元社(日) |
徐霊胎医学全書 | 『傷寒類方』 | 中国中医薬出版社(中) |
〔現代〕 | ||
中医十大類方・KAMPO十大類方(黄煌 著) | 全部分 | 江蘇科学技術出版社(中)・メディカルユーコン(日) |
張仲景50味薬証・張仲景50味薬証論(黄煌 編著) | 全部分 | 人民衛生出版社(中)・メディカルユーコン(日) |
新撰類聚方(龍野一雄 編著) | 大部分 | 株式会社 中国漢方(日) |
傷寒論析疑(沈済蒼 編著) | 中医理論以外の部分 | 上海科学技術出版社(中) |
傷寒論方解(江蘇省中医研究所 編著) | 中医理論以外の部分 | 江蘇科学技術出版社(中) |
漢方診療三十年(大塚敬節 著) | 一部分 | 創元社(日) |
実用金匱效方彙編(王寧・王増蘇 編著) | 一部分 | 山西科学技術出版社(中) |
経方応用与研究(姜春華・載克敏 著) | 一部分 | 中国医薬出版社(中) |
桂枝湯類方証応用研究(江尓遜・竜治平 主編) | 一部分 | 四川科学技術出版社(中) |
〔その他〕 | ||
漢方用語大辞典(創医会学術部 主編) | 燎原(日) | |
漢方医語辞典(西山英雄 編著) | 創元社(日) | |
中薬大辞典 | 上海科学技術出版社(中) | |
中日大辞典 | 大修館書店(日) | |
辞海 | 上海辞書出版社(中) | |
...... |
掲載:2023/07/13
更新:2023/11/27